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独り言:説似一物即不中 2009.7.17

説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)

一物を説くに 似たれども 即ちあたらず
言葉では表せない、体験や修行の中で会得してゆく世界というものがあります。居合の修行もその一つです。

私事で恐縮ですが、居合にどっぷりと浸かっている今の自分も写真学生の時代は、ニコンを手にしているか写真大学の図書館で写真集を眺めているかの日々でした。図書館には膨大な写真集が収蔵されており、その中から美の構図、質感と言ったものを感じ取り、町や自然に行っては写経をするかのようにニコンでなぞっておりました。
表現された写真には力があります。芸術を生む世界は修行とは違いますが、答えを求めて苦悩する求道の世界である点は同じです。
そんな写真時代に作った作品集が「地球曼陀羅」でしたたが、その時の体験が居合の修行課程で役立っています。というより似ている部分が沢山有り、世界は違えど道を究めようとする過程は大差ないものだと感じます。

「居合」と何なのかという問いに、未だ明確な答えが無い自分でも答えの道は見えています。一年目の答え、三年目の答え、十年目の答えはさらに深くなってゆきます。
「更に参ぜよ三十年」
居合の修行に終わりがないと説いた流祖の言葉に真実があるのかもしれません。また「無外真傅剣法訣」には大きな丸を描き、その中に「文字ノ沙汰ニアラス」とあります。
居合の場合、道は形として実態があるので、形を正確にトレースする事が道から外れない唯一の方法です。見える道がある事はなんと心強いことでしょう。
居合は闘争に使うものでも護身術でもありません。座禅を組むかのごとく自身を無にして空気と一体化してゆく境地を深めてゆきたいと願います。
そこには他人に説明しつくせない世界があり、それを知る為には修行で会得する以外方法がないのです。

居想会代表:関戸光賀


文政二年(1819年)「無外真傅剣法訣」より