独り言:富士山麓合宿 2009.10.1

合宿参加者の皆様、お疲れ様でした。
今回の実行委員の細やかな配慮があるからこそ、私も指導に専念する事ができました。また指導していただきました伝承部方々、適切な指導ありがとうございました。

予定より早く着いたので、30分早く稽古をはじめる事ができました。おかげで居合、剣術の稽古だけでなく居想会の目指す方向性について、お話しできた事は良かったなと思います。
そして何よりも収穫だったのは参加された方の熱心な稽古姿勢を感じることができたことです。4時間30分に及ぶ稽古の後、緊張を最も強いられる昇級試験に挑んだ方々。また自由参加の朝稽古の参加者は過去の合宿で最も高かったことも嬉しかったです。(懇親会の酒量を考えると全員朝寝坊かと思いました)。皆さんの稽古への情熱が高ければ高いほど、私たち指導する側のやる気も高まってゆきます。そうした思いの人たちと日々切磋琢磨してゆく事が、指導するものの喜びなのです。

座学では無外流についてのお話をいたしました。
流祖の辻月丹から現代まで、短い時間では語り尽くせないことでしたが、一応の流れは掴めたのではないでしょうか。
辻月丹の流れを汲む本来の無外流は、今の日本にはありません。口伝として伝えられた古流の無外流は明治を待たずして途絶えてしまたのです。現代、無外流とされているものは中川氏によって編纂された昭和の無外流であり正しくは「無外流居合兵道」といいます。無外流第○代宗家や無外流○○派宗家といっても「無外流居合兵道」はどこまで行っても昭和の「無外流居合兵道」なのです。
その「無外流居合兵道」に所属しているものが自分の稽古しているものが「無外流」だと錯覚し、居想会を誤解して軽はずみな発言をする人もおります。私たちの居想会は「無外流」でもなく「無外流居合兵道」でもありません。居想会は、江戸時代の無外流を基軸として、現代において失われた無外流の源流を探求する会なのです。無外流は途絶えたのですから、研究して再現を試みるしかないのです。
今に残る無外流真伝剣法訣などの資料を読み解き研究しても、江戸時代の無外流を正確に再現することは不可能ですから、居想会は単に無外流であるとは言えません。
しかし、少しでも無外流を志した人たちの思いに近づく為の研究はするべきです。今、私たちがやらねば本当の古武道としての無外流は永遠に霞となります。

無外流に限らず最近居合が注目を浴びているようです。和の文化として評価され温故知新としての価値を感じているのでしょう。しかし、無外流に関して言えば「300年の歴史がある」とか、「禅に通じる武道」と、言葉で飾り立ててもその中身がなくてはすぐに人は離れます。
無外流という古武道を知るためには古(いにしえ)の武士(もののふ)の合理的な新体操作が最初の研究テーマとなります。そして、指導者がそのような古の武士の身体操作を知っている事(まだまだですが)と、それを生み出すための正しいカリキュラムが必要です。観念的な思想や言葉ではなく、合理的な体の使い方を知るのです。禅のこころは正しい稽古の積み重ねによって生まれます。間違った稽古はただの運動です。否、ときには間違った稽古で筋を痛めたり、自分の刀で手を切ったりして、運動より始末がわるいです。

居想会の古武道の研究はこれからも果てしなく続くでしょう。古流を学ぶ事や文化を伝承するという事は、伝えられた事だけをすることではありません。自分の体で学んだ事を咀嚼し、養分として体のすみずみまで行き渡ってこそ学んだと言えるのです。会員の皆様もそうした一員である事に願わくば誇りを持ち稽古に精進して頂く事が、指導者全員の喜びとするところです。