演武会ダイジェスト版 平成27年5月

居想会発足からはや10年の月日が流れ、多くの収穫がありました。
熱心に居合と向き合う門人の顔を見る度に、この会を作って本当によかったと思います。また、人を育てることに献身的な指導部員の姿は誇らしく思います。居想会は、だれにでも自慢できる素晴らしい会に育ちました。
技に関しては、「現代居合から古流居合に脱却するべく様々な試行錯誤の末、現在に至る」と言ってしまえば一言で済む話ですが、実際はかなりの試行錯誤があって現在の形に落ち着いています。

そうしたなか、最も大切にした思いは、「礼に従う武術のこころ」というもので、そこから逸脱せず、武術としての居合や剣術の世界を築いてきました。
武術が途絶えてしまいそうな危機の時代は、明治9年に発せられた廃刀令もありますが、それより影響があったのは大東亜戦争の敗戦後、GHQによって武術の殿堂ともいえる大日本武徳会を解散させられたことではないでしょうか。
その後復活した剣道では、スポーツなのか武道なのかの曖昧さが生まれ、居合においては、日本独自の武術的な身体運用が軽視されてしまったように思います。
居合や剣術は本来武術でありますから、刀をどのように扱えば早く相手に届くか、そのために体のどの部分を如何に使うかを考え、導かれた理論によって合理的に身体操作を繰り返し行うことが大切であると思います。

また、武術の特徴は礼を重んじるという点にあります。居想会にも刀礼に始まり様々な作法がありますが、鋳型のような型として行うのではなく、心のこもった形として捉えるべきだと考えます。
刀礼は、刀を単に道具として扱うのではなく、それを作った人や技術の伝承に畏敬の念を持ってすべきですし、稽古の始まる前の正面への礼は無外流の流祖に対 してはもちろんのこと、武術の発生から今日までに伝承してきた多くの先人へ敬う気持ちを持ってするすることが大切です。
そして、稽古を行うことが出来る環境に感謝し、日々稽古を共にする仲間に礼を持って接することで、自分の心が磨かれ、心の置き場所を作ります。
刀という武器を持って行う稽古では、礼や作法を尊び自らの体と心を鍛えてゆくことが肝要なのだと思います。
二度と来ない現在を大切に過ごし、明日を思って生きてゆくことが葉隠でいう「武士道と伝ふは死ぬ事と見付けたり」ということではないでしょうか。