問うて云わく 萬法一に帰す 一何れの処にか帰す
我答えて云わく 青洲に在って一領の布衫を作る
重きこと七斤
「あらゆるものは一に帰するというが 一はどこに帰するのか」と問うと
私( 趙州 )が青洲にいたときに一着の衣を作ったが、その重さは七斤もあったよ
注釈
萬法とは森羅万象のことであり、存在全てということです。その全ては絶対的な本体である一に帰します。この一とは例えて言えば神ということでしょう。その神がなんであるのかというという問いは至極自然なものですが、それに対して「本来軽い布衫(襦袢の類)を作ったところ4.2kgもある重いものだった」という答えはなんとも意味不明で、まさしく禅問答そのものです。
無外流の流祖辻月丹はその後に続く「更に参ぜよ三十年」という言葉を付け加え、更に大きな丸を描きその中に「文字の沙汰にあらず」と書き添えています。これこそが月丹の解釈するところであり、「無外流真傅剣法訣」において最も伝えたかった大切なことなのではないでしょうか。
則ち、無いと思うば有であり、有と思えば空である。そして、有と空とは一つのものであるということが則ち真理であるという事でしょう。居合や剣法の修行において出来たとおもえばそこにて停着し、稽古の意味が失われます。釈迦も達磨も死ぬまでが修行であったでしょうし、それが則ち生きるということなのです。そうした修行に終わりはないし、その循環のなかで得られることこそ悟りの道となり、その世界は文字や言葉では表すことのできない自分だけが持つ悟りの世界なのだと月丹が言っているように私(関戸)には聞こえてきます。
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